仏教学習日記『法華経講読』(30)


法華経講読(第30回)

                                   
——————————————————————————————

爾時世尊.四衆囲繞.供養恭敬.尊重讃嘆.


爾(そ)の時に世尊(せそん)、四衆(ししゅ)に囲繞(いにょう)せら
れ、供養(くよう)・恭敬(くぎょう).尊重(そんじゅう)・讃嘆
(さんだん)せられて、

——————————————————————————————

みなさん方が学校の先生でいらしたら、こんな読みをする
子供には、注意して正しい読みを教えて下さることでしょ
うが、ここは全く心配ご無用.呉音読みをしますので、こ
れで大丈夫です.
 「四衆」という言葉が出てきました.普通は「比丘(びく)」
(出家男子)、「比丘尼(びくに)」(出家女子)、「優婆塞(うば
そく)」(在家男子)、「優婆夷(うばい)」(ざいけ女子)の四つ
の聴衆、ということなのですが、この法華経に関しては、古
来、読み方のルールがあるようで、次のような解釈をしてい
ます.

1:発起衆(ほっきしゅう)
2:影響衆(えいごうしゅう)
3:当機衆(とうきしゅう)
4:結縁衆(けちえんしゅう)

発起衆(ほっきしゅう)とは、仏様の教えを説くような機会を
作る人たちのことです.教団の役員か、イベントスタッフ、
あるいは、今風にいえば、プロモーターの方々に相当します.

説法日時の打ち合わせ、説法場の確保、呼びかけ、足洗場の
確保、食事提供の段取り、おトイレ場所の設定など、いわば、
この法華経説法の裏方さんたちです.
 さらに言えば、司会者も含まれます.法華経を読み進めると
登場するのですが、文殊菩薩弥勒菩薩が最初の司会進行係を
務めています.

辻説法をストリート・ミュージシャンに例えると、法華経説法
は、フェスティバルホールで開催される交響曲だと思って下さ
ればいいでしょう.


2:影響衆(えいごうしゅう)というのは、仏様の教えを世に弘める
ことに努力する人とされています.仏様の声を影で響かせる、とい
うことのようです.現代ではこういう人は「自分の考えがない」と
か「スピーカー」だとか「テープレコーダー」とか、ろくな風に言
われませんが、メディアのなかった古代では、大切な存在だったは
ずです.
 お経を他人に伝えるためには、自分の考えを入れてはいけない.
純粋な教えが濁ってしまうからです.ですから「法」を伝える人は、
「教えられたことをそのまま」伝えることが大切で、それが「響」
ということでしょう.「響」はメディアのなかった時代では、重要
な役割を担うことになっていたはずです.


3:当機衆(とうきしゅう)
当機衆(とうきしゅう)というのは、仏様の教えを聞いてすぐに分か
る人のことです.「機」というのは人の機根(きこん)、すなわち人
の能力のことで、「当」が、「仏様の教え」の難易度に適合すると
いうこと、すなわち「仏様の教え」を理解するだけの力をもってい
るという人たちが当機衆(とうきしゅう)です.この霊鷲山の説法場
に詣でした人たちはみな、この当機衆(とうきしゅう)ということに
なると思います.仏様の教えを「なるほど」とわかる人は当機衆で
す.


4:結縁衆(けちえんしゅう)
    ところで眷属○〇人と倶なりき、とか書かれていましたが、
一緒に誘われてついてきただけの人だったら、仏様の教えがわから
ない人もいたかもしれません.近所の人にさそわれて、初めて歌舞
伎を見に連れてこられた人が、よくわからないような感じでしょう
か?
 仏様のありがたい教えは、ちゃんと理解ができないけれど、何
となく「ありがたいなあ」と思える人がこの結縁衆(けちえんしゅ
う)なのであります.「結縁」というわけですから、「縁」を結ぶ人
のことです.それは教えを聞いたそのときには理解できなかった
けれども、いつの日か分かる日が来る、というのです.

人生経験を積んで、あるいは修行を重ねて、またいろいろな他の
ことを学ぶうちに、折に触れて思い出し、理解する日がやがて来
るというわけです.