仏教日記(14)

仏教日記(14)


よそのブログ(ライブドアブログ「仏教日記28」)

であげているものをコピペでこちらのブログ

にも番号修正してもってきました.

ブログではこういうコメントが来ていました.

内容をかいつまんで言いますと、

「仏教もイスラム教もキリスト教も、みな1つの真実を求めて
奇跡を得る教えなので、結局は同じものではないの?」

それは私もそうだと思います.人間の言語は、英語もあれば
ギリシャ語もあって、さまざまですが、いいたいことは
ひとつの意味です.それを英語で言うとこう、ドイツ語で
言うと、こう、みたいなものです.

ただ仏教は他の宗教と違って、ブッダの覚りというものは
当然の道理を説いただけのものです.宗教ではなく道理を
説きました.

それはダンマパダの「快楽と不快を捨てる」に言い表されています.
快楽があるから、不快がある、楽しみがあるから悲しみがある.
楽があるから苦がある.これらはセットになっているもので、
片方、「楽しいこと」だけを取るということは道理として
成り立たない、ということです.

そこで、ブッダは、「苦」を辞退します.なので「楽(これを
煩悩と言った)」もいりません.どちらもけっこうですので
お持ち帰り下さい.

そう悪魔に言ったのでしょうね.「苦」を受け取ってもらえなか
った悪魔はしかたがなく、とぼとぼと帰っていった.

悪魔は消え失せるとき、ヘチマだったか、アケビだったか
よく覚えていないのですが、何かの実をひとつ
残していきます.

悪魔の残して行ったものは食べる気がしないので、
とりあえずここでは、運送トラックが落としたサツマイモに
しておきます.よろしくお願いします.

悪魔は消えてサツマイモがひとつ残りました.

きょうはスーパーに行ってサツマイモ買ってきて食べましょうかね.
(ハイ、買ってきてチンして食べました)

それから仏教は修行方法が他の宗教に比べて、異質です.
仏教初期は、みんな修行者は、墓場で寝泊りしていました.
墓場と言っても当時は死体置き場だったようです.いわゆる風葬
カラスがやって来て、死者の肉体を啄ばみます.おぞましい光景
を目の前にしたことでしょう.死者の目はえぐり取られて、半
ドクロ化しています.

 修行者はそういう死体の衣服を剥いで、縫い合わせ、自ら着用
しました.今、仮にそういうことをすれば逮捕されるかも知れま
せん.しかし当時は、そんなこと、全然気にしていなかったよう
です.
 まあ、そういう特殊な環境で無常を覚る修行をしていたわけです.

「え、こんな人に信仰を捧げてもいいの?」

と思えるような異質なものです.今でこそ、権威のある
立派な寺院、りっぱな仏像、りっぱな檀家さんで支えられている
仏教ですが、そもそもの始まりは、ぞっとする光景があったらしい
です.