仏教日記(11)


 仏教日記(11)

 


 実はアッサジの偈頌を聞いただけで、サーリプッタ
もうほとんど「覚り」を得ていたのでした.それほど
天才だったのですね.
料理でいえばもう最後の味を塩コショーで整えるだけ.一
体、アッサジはどんな偈頌をサーリプッタに詠唱したので
しょう.仏法書を開くと、

 

 「諸法は因より生ずる.
  如来はその因を説きたもう.
  諸法の滅もまた
  大なる修行者はかくのごとく説きたもう.」
       「釈尊の生涯」(仲村元著)(平凡社

 

この偈頌はブッダが嘗て菩提樹下で覚った内容のようです.
そのときは、この因が過去世によるものもあり、現在の因
が未来に及ぼすものもあると観たのだと思います.

ブッダの覚りは、四本の樹木の下でなされていますので、
その内容も4つあると考えるのが自然のようです.

 

1つにはこの「因果律」(縁の考えを含む)

2つ目が苦と苦からの脱却.

3つ目が中道(中庸).ただしこの中道というのは、私は少し違
った解釈をいたします.それはダンマパダなどに繰り返し出て
くるフレーズ、快と不快を捨てる、というもので、その捨て去
ったあとが「中道(中庸)」になるのだと思っています.

俗にいう「この世はいいこと半分、悪いこと半分」で出来てい
る.いいことを取れば、悪いことも取らなくてはならない、
この2つはセットなもので.

4つ目の樹木の下では、「覚り」に対し一言でどう説明するかなど
を考えていたのかも知れません.つまり、この時すでに、布教
教説の手順を考えていたのかも知れません.それは恐らく
「不死を得た」を覚りのタイトルにして人を引きつけたのでは
ないかと推測します.インパクトのある説法を考えたかも知れ
ません.菩提樹一本目の覚り、「因果の法則」により、三世を通して
存在した自己を知って、「死なない由」を知り、それを布教の
手がかりとしたのかも知れません.

すべてが整ったときに、梵天勧請を受けたのでしょう.

つまりゴーサインを天からもらったのでした.

 

ブッダ:んだば、出発すべ.

梵天  :ベナレスへ直行しなはれ.あんたのウッダカラーマ
    プッタ先生は、先日お亡くなりになったとのこと、
    アーラーラ・カーラーマ先生も逝去しはったんやて.

ブッダ:よっしゃ、わかった.ほなベナレス行ってくるわ.
    バイバイ.

梵天 :お早うお戻りを


あれから数か月、今やマガダ国王から竹林精舎の寄進を受ける
ほどの第一人者的「仙人」となっておりました. 


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アッサジ:ブッダ先生、この2名、入門希望者です.

ブッダ :ありがと、ほな、君らこっちおいで.死なない
     法を説いてあげる.

サーリプッタ:先生、それ、もうわかりました.過去世の自分
       があるということは、おれは死んでなかってん.

ブッダ :おっ、知ってるやないか.おまはん.

サーリプッタ:わが友、モッガラーナもすごいねんで.
       こいつな、神通力もっとんねん.

ブッダ :えー?神通力がある、ゆうことは、神様も
     支援してくれてはんねんやんか.
     ほな、あんたら2人、生徒会長と学級委員長やってえや.

サーリプッタ
モッガラーナ:オッケ-.