仏教日記(13)

仏教日記(13)


ブッダとその一行がサーヴァッティー市に入る前後から、
教団の活動年表は不明のようです.すでに初期段階で、覚り
を成就した弟子たちは、ブッダと別れて、布教の旅に出たり
したとのことですから、その行動範囲、活動状況はまったく
わかっていないようです.


成道後のブッダ年表
1年目:鹿野苑
2年目:王舎城(竹林精舎)
3年目:同上
4年目:同上
5年目:同上 (カピラヴァットゥーに戻ったと
        書いているものもある)
6年目:ヴァイシャーリー
7年目:パーンドゥブーミ(パン屋さんと無関係)
8年目:諸神の住処
9年目:カウシャーンビー
10年:宝塔山
11年:南山精舎
12年:サティアビア
13年:ツァリア市附近一精舎
14年:祇園精舎
15年:カピラヴァットゥー
16年:同上
17年:竹林精舎
18年:ツァリア市附近一精舎
19年:竹林精舎
20年:祇園精舎
21年~42年:不明
(竹林精舎・祇園精舎間の行き来が多かったらしい)
43年:舎衛城
44年:祇園精舎
45年:竹林叢

5年目にヤショーダラ妃が出家しているので
この年にはカピラヴァストゥに戻っているはず

尚女性出家を認めたのはカピラヴァストゥで
多くの男性出家者を受けいれたあとなので
4年目にカピラヴァストゥに戻っていたかも
知れない.
晩年は霊鷲山のあと、最後の旅に出るので43年辺りから
王舎城霊鷲山~最後の旅~クシナーラーとなる.
モッガラーナサーリプッタが亡くなるのはこの前後と
書かれているが、はっきりしていない.モッガラーナが異教徒
の襲撃を受けて亡くなってから、サーリプッタは、ほんのすぐ
あとに病気になり、故郷に戻って死んでいます.

齢80前にして、たよりにしていた跡継ぎに次々先立たれた
身上にはブッダはどんなに辛かったことでしょう.

ブッダ終焉の地は、クシナーラーですが、私がここに書くより
ブッダ最後の旅」を読んでいただいたほうが、正確です.
足跡を見る限り、最後はカピラヴァットゥーをめざしていた
んじゃないかとも思われますが、残念なことに、その城と
国はそのときもうすでに滅亡していたと書かれている本もあります.

古代史は謎が多いので絶対そうだったとは私は言いきりませんが.
でもまあ考えてみれば、重要な跡取りをことごとく出家させて
しまったのですから、城が潰れてもやむを得なかったでしょうね.

きっとブッダはこう言ったことでしょう.

「形あるものは、無常であり、あすの命はわかりません.
 国破れて山河となっても、出家した人々は死なない法
 を得て、みな健やかである.私は燃え盛る屋敷から
 この人たちを救った.」

と勝手にブッダの代弁をさせていただきました.
ブッダ弁護士、ゴタぴょん談) 


ブッダ亡き後、教団を支えたのは、マハーカッサパでした.