仏教学習日記『法華経講読』(38)


法華経講読(第38回)


前回「六趣(ろくしゅ)」について学びましたが、とても重要な
箇所でしたので、もう少しだけ書き足します.
 仏様は言葉ではなく、映像として6つの世界がどんなもので
あるか、私たちに、私たちの心にお入りになり、確認させまし
た.心は人の「思い」によって、この6つの世界に「趣きます」.
ゆえに「六趣」という表現になっております.

 復習しましょう.「彼の土の六趣の衆生を見る」というのは
私たちの心が絶えずころころとこの6つの世界を巡っていると
いうことをまず確認しなさい、ということですね.

 

❶ 心が「怒り」に満ちたとき、そこは「地獄」となります.
一切(幸福をまるごと)を焼き尽くし、灰燼と帰するのです.
まさに地獄絵図そのものを自分自身で描き上げるのです.
もうきょうかぎり、二度とここには来ないでいただきたい.
これを書いている私もそのように心がけましょう.こんな
恐ろしい世界、二度と来たくありません.

 

❷ 心が「欲しい」「欲しい」と言い出せば、そこはもうすでに
「餓鬼」の世界が広がりはじめています.「飢え」の世界です.
貪欲そのものが飢えを作り出すのです.本当に皮肉なことに
「欲しい」と思えば満たされるどころか反対に「飢え」の世界が
やってくるのです.ここも苦しい世界です.ここにも来ないよう
にしましょう.「貪欲」すなわち「餓鬼=飢えの世界」

 

❸ ここは私独自の解釈ですので、他の仏教書と異なります.
心が「善因善果」「悪因悪果」という智慧羅針盤を失ったとき、
それを「愚痴」と呼びます.そのままで「畜生」となります.
周囲の人からも、ちょっと軽く見られてしまうようになっていく
ようです.物事の道理をわきまえましょう.

 

❹ ここも私の解釈で話を進めます.
    修羅世界は、一般には「争い」の世界と説明されていますが、
争えば、すでに地獄です.なぜなら争いは「怒り」から生じる
ものですから.ここの世界は「人間界」のすぐ隣、すなわち
ちょっとの油断で、誰でもうっかり来てしまう世界です.
どういう世界か?「うそつき」の世界です.「うそ」の定義は
難しいかも知れませんが、心配しなくても、自分自身がうそと
気づけば、それでいい.すぐに謝って訂正すればいいですから.
なかなかついたうそを訂正するのは勇気がいりますけど、がんば
って.
 「法華経」そのものも「今までうそついて、ごめんなさい」
と言っているのですから、「死んだ私は実は死んでいなかったの」
と言っていましたよ.

生まれた年もごまかしていましたよ.
如来寿量品」で正直に、サバ読まず年齢を言ってくださいまし
たけど.

正直にうそを明かす経典と思えるくらいです.

だって「方便品」まであるのですから.

「うそも方便」というぐらい、「うそ」は私たちの生活に密着

しています.

こんな人間味あふれた経典が他にありましょうか?


 「うそ」はつかないのがベストですが、ついついつくのが
「うそ」.「すみませんでした、あれはうそでした」この言葉、で
きるかぎり早く言ってあげてね.

 

➎ 人間界.ここが基本です.心をいつもここに安住させておく
ことを私は禅定と呼んでいます.天にも行きません.あれは嬉し
い世界ですからだめです.どういうことかと言いますと、世の中、
嬉しいこと半分、悲しいこと半分でできております.よろこんだ
分、悲しみがやってくる.「生まれる」喜びと「死ぬ」悲しみは
表裏一体であります.

 

➏ 天上界.左うちわで暮らせる世界ですけど、永遠に続くわけ
ではありません.幸せは、そのうち「マヒ」してきます.幸せ
であることがわからなくなるのです.もうその時点で「天上界」
終了.落ち方は、さまざまでございます.平家の壇ノ浦式で
落ちるか、ベルサイユ宮殿型ギロチン式かはわからないが、終焉
があることだけは確かです.
でも
身は天上界にあれど心は常に「人間界」に住されている方も実に
たくさんいらっしゃいます.こういう方々は落ちません.心が
禅定だからです.


では本日の学習に入ります.

——————————————————————————————————

又見²彼土.現在諸仏¹.

又彼(またか)の土(ど)の現在の諸仏を見(み)、

——————————————————————————————————

これはどういう意味かと申しますと、仏様の数はたくさん
あっても、覚られた内容は、同じものだということです.
現在の諸仏を見ました.そこにはたくさんの覚りがありま
した、そんなバカなことはありません.諸仏はみな、同じ
「覚り」をしています.ですから真理というものは「古道」
にたとえられています.昔に覚られた仏様も、今の仏様も
同じ覚り、同じ道を歩まれるということです.この道を
「古道」と言っています.


 またこの段は、重要な事が書かれていまして、「彼(か)
の土」です.つまり、六趣の世界にそれぞれ仏様もいらっし
ゃるということで、落ちた人にも慈悲の救いがある.ある
のですが、悪人は悪の果をちゃんと消化してから救ってもら
えるということです.消化指導はしてもらえると思います.