仏教日記(8)

仏教日記(8)


ブッダは、拝火儀式をするカッサパ三兄弟を教化してから得られ
た新たな弟子1000名を連れて、ガヤー市の象頭山に登って、「燃
えている」説法をしたとあります.これは彼らが火の儀式をして
きたことによる配慮から、そのような説法を選んだと言われてお
ります.眼は燃えている、から始まり、ありとあらゆるものが燃
えていると教説します.そして何によって燃えているかを説明し
ます.それは貪欲の火によって、嫌悪の火によって、迷いの火に
よって...あらゆる心の作用によって燃えている、と諭します.

どんな山だったかはわからないが、恐らく1回の説法に伴った
のは20名前後だったのではないかと思います.切り開いて広場
を作るというのは大変な作業になるので、せいぜい20m四方の
スペースを作るのでせいいっぱいだったろうと思います.1000
人のうち数十名を数回にわけて行ったのではないかと思います.

さて、燃えているから一体どうだと言うのでしょうか?
燃えると「灰」になってしまうので、無常を説いたということ
は想像に難くありません.無常であるからそれにしがみつくの
ではなく、手放し、さらには厭えと言っています.快・不快に
かかわらず、厭い離れろというのです.不快を離れるのは、そ
れは誰しもそうしたいでしょう.近所にゴミ屋敷があれば、離
れたい、引っ越したいと思う.でもブッダの説教によると、近
隣が「快適」すなわち、風光明媚であったり、遊女の園であっ
たりしても、厭い離れる旨の説法をしています.

そしてブッダのすごかったのはこの説法により、1000人の弟子
がことごとく心が解脱したという点であります.実に鮮やかな
教化だったと思います.