仏教日記(5)

仏教日記(5)



ブッダ在世の頃の仏教、仏滅後の仏教、大乗仏教が誕生してから
の仏教、時代時代で覚りへの道も変わってきました.

 

おおざっぱに言って、在世の頃の仏教はだれでも覚りを得て
ブッダになることができました.

 

しかし、仏滅後、こういう思想が芽生えます.つまり、
ホトケさまの覚りは偉大である.たかだか、この世に
生まれて、たったの6年間で、修行が完成するはずがない、

 

ホトケさまは、前の世でも、その前の世でも、菩薩の修行を
重ねてきて、やっとこのたび、このシャバで6年間の仕上げ
をしてホトケになったのだ、という考えが生まれました.

 

そしてお釈迦様の前世物語がたくさん作られました.
釈迦の前世物語のため「ジャータカ」(本生譚)が
編まれました.
 
こういうわけで、もうこのころから、仏道修行者は、一生涯
かけても覚れなくなりました.生まれ変わり、死に変わり
生々世々、菩薩の道を行じなくてはならなくなりました.
終点がなくなったのです.
 
未来半永劫に彷徨い続けることになったのであります.
そうすることによって、私たちと近しかったブッダ
段々、雲の上の存在になっていきました.
 
これは、どちらかというと、キリスト教に似てきたと
言えるかも知れません.人は覚れない=仏になれない
キリスト教は、人は神になれない
 
これって、仏になれない=神になれない
 
になりそうな気もしますが、どうなのでしょう.
 
でも仏教の出発点は、「苦しみからの解放」でした.
「今、この世で覚り、苦しみから解脱し、不死を得る」
というものだったはずです.
 
それを今でも実践しておられる方々もたくさんいらっしゃる
はずです.そして覚りを得た方々、つまり、ブッダになった
方々もたくさんいらっしゃるはずです.
 
大集経には末法になると、覚れるものはいない、とか言って
教わってきましたけど、それはきっと、そのお経文のほうが間違い.
 
仏教裁判があれば、ブッダの教え(これを憲法とすると)
に背く「違憲」判決が出そうです.
 
500年たったら、教えが形骸化し、さらに500年たったら
教えがなくなる、とかいうものですが、なくならないように
守り続けてきた仏教であります.
 
がんばってこの世で生きているうちに覚りを得て、不死を得て
苦しみから脱却してください.